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大阪高等裁判所 昭和23年(ツ)8号 判決 1949年2月16日

上告人 控訴人・原告 箕山数三郎

訴訟代理人 中井彌六 宮武太

被上告人 被控訴人・被告 壽命院

主文

本件上告はこれを棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告理由第一点は原判決は「云々上告人所有の忍頂寺百九番地と同百六番地との境界は別紙図面の(ホ)(ヘ)点を結ぶ山道であると認めるの外なく本件係争地は被上告人所有の右忍頂寺百六番地山林一反歩であると認めざるを得ない」として上告人の主張を排斥している。

然しながら此認定をなす原審は被上告人所有の百六番地は一反歩(公簿面)であるに不拘上告人の主張する境界線を両土地の境界線とする時は実際上四畝歩しかない非常に少量となるという事が其考察の基礎を爲しているのである。

上告人は上告人所有の百九番と其隣接する被上告人所有の土地と称して居るのみで其隣接土地が百六番地であるか如何かは主張していない被上告人も原審も第一審も百九番地に隣接する土地が百六番地と先入観的に定めて総ての審理を経過して居る様である。

別紙添附の図面は茨木税務署に保管中の図面の写であるがこれによると百六番地というのは原審が認めた百九番地に隣接した土地でなく全く別の処に存在するものである百九番地に隣接するのは百十二番地で弐拾四歩である上告人の実地調査した処によると図面の如く実際に一反歩以上の広いものが存在していることが認められるそれは百十一番地は上告人の所有で百七番地との境界も明かについて居て百六番地の土地は此の図面の如く現実に存在していることが認められる。

又この図面によると百三番地百四番地百五番地共に被上告人の所有でその次に百六番地の存在するという事は実際に適したものである百九番地に接して百六番地がその西の方に存在するという事は実際上も在り得ないことである図面の如く百九番地百十番地百十一番地百十二番地と相互接近して存在することは事実に適合することである。

百九番地に接した土地(イボ水の存する土地)が百十二番地であるとすれば公簿面弐拾四歩であるから実際より少い坪数であるが之れに該当するものであると云い得られる各証人の証言(原審に援用の)でもイボ水のある土地が被上告人の土地であることは認めるが果してこれが百六番地であると断言するものではないかくした時に原審は百十二番地の土地を百六番地の土地であると即断した事実認定についての審理不審があるものと信ずるというにある。

けれども所論図面は原審に提出せられなかつたものであることは記録上明かであるから、これを斟酌して係争地が百十二番地の土地にあたるかどうかを審査すべき限りでないのは勿論、原判決挙示の証拠を綜合すれば原判示のように被上告人は上告人所有の忍頂寺百九番地山林七反歩の西に隣接して忍頂寺山林百六番地山林一反歩を昭和十年以前から所有している事実、及び右両地の境界は原判決末尾添付の図面の(ホ)(ヘ)点を結ぶ山道であつて係争地が被上告人所有の右百六番地山林の一部であることが認められないことはないから、原判決には所論のような審理不盡の違法はない。論旨は理由がない。

上告理由第二点は原判決は「本件係爭地内西部及び南部低地数ケ所に生立していた雜木の内の「コハラ」を控訴人の継父乙隆において明治四十三年中今井平次郎へ、大正七、八年頃子安継二郎へ(同人は右の頃右原木を用い本件係争地(ロ)点東南方において炭焼を爲す)控訴人において昭和二年頃入江音吉外一名へ、昭和六年中池上源二郎へそれぞれ売却し、又本件土地内東部高地の松を大正十二、三年頃控訴人において他へ売却した事実、昭和三年頃(前掲各証拠中右以前の時期における植林事実の供述又は記載部分は措信しない)控訴人において入江音吉、吉岡勇三郎を使用して本件土地の傾斜地帯に杉、檜を植林し、(さらに係争地外の前記イボ水平地にまで侵入して植樹を試みたことが原審及び当審における被控訴人代表者本人訊問の結果によつて認められる)その後二、三年に亘り入江音吉及び池上源二郎を使用して植林部分の下苅を爲した事実がそれぞれ認定できる云々」として本件係爭の土地において上告人及継父乙隆において明治四十三年頃より前記の如き各種の行爲のあつたことを認めながらこれは占有と認めがたいとして上告人主張を排斥したのは占有の解釈を語つた違法があると信ずる。

山林等の占有は家屋とか畑地とかのように間断なくなされて居るものではない一年に一回下苅をするとか雜木の下拂をするとかという程度のものであつて殊に之れを他人をしてやらしたり又他人に売却したりすることはそもそもこの山林を占有して居ればこそなされるものでこれを占有に非ずとするが如きは占有の解釈を誤つた違法がある原審判決の説明によると山林の立木全部又はそれに近い程度を伐採するとか植林すると言う様な場合のみに占有を認めるが如く考えられるが斯様なことは実際上少いことであつて、下苅をするのもその必要程度及び個所にてするものであり、立木処分行爲も山林の状況を視察し必要な程度若くは可能な程度にて行うのを通例とするものである、又炭の原木として処分する様な場合も適材のみを売却するのであるからして一筆の山林に対する占有として認められる基礎たる事実はこの程度の事実があれば必要且つ充分と解するのが正当である、若し然らずとすれば数百町歩と云う様な山林は凡て無占有の状態にあると云う不当な結論を招来することとになる。

従つて原判決が前記の様な事実の存在を認定しながら尚「占有の承継事実は結局これを認むべき証拠はない」とされることは解釈に違法がある。

前記事実は法律上当然に占有の承継事実があると判断せられねばならないといい、

同第三点は原判決は「そして控訴人は前記植樹及び手入をなすことによつて初めて平穏公然に本件土地の大部分に対する占有を開始したものと言い得るのであるが右占有の開始にあたり控訴人が無過失であつたとの点については何等これを肯定するに足る証拠なく云々従つて右の占有は民法第百六十二條第一項の占有と認めざるを得ないところ云々」として占有の開始について無過失であつた証拠がないとて上告人の主張する短期時効取得を排斥しているがこれは証拠を不当に排斥した違法がある、本件の山林は深山ではない道路から一町程隔つた処にある然もその横に被上告人の寺院があり隣接した土地にあるイボ水には参詣者もあり多くの人々がこの山林の附近を通行し又出入して居る山で殊に農村のこととて彼の山は誰のものあの山は誰々のものというようなことは村人の間では判然としているものであつて他人の山に入つて下苅したり雜木を切つたり炭焼をしたりするなどどいうことは到底出来ないことである。

本件上告人の山林は明治三十六年買受け当時から上告人家が支配していて唯一人苦情のないのは勿論この山林から半町位の処にある被上告人寺院が知らないということはなく実際上被上告人代表者も本件土地が上告人所有であると信じていたので人を介してその一部である竹藪の部分を賃借したいと申出た程で数十年間上告人の所有たることは村人が認め被上告人寺院も認めて来たものであるから上告人が之れを支配するに当つても何等自己の所有と信ずる不思議はなく下苅をした人雜木を買受けて炭焼をした人など多くの人も何等不思議なく上告人の所有と信じていたことが認定されるこれを上告人に占有するに当つて何等過失ないと解するのは当然のことである斯様な状況の下に於て上告人が植林をしたり下苅をしたことは何も異常な点はなく通例のことである斯様な状況はその儘上告人が注意義務を怠つていないこと即ち無過失であつたことを証明するものである。右の様な状況は各証人の証言、原告被告の訊問により容易に認め得られるところであるに不拘原判決がこれを看過したことは証拠を不当に排斥した違法があるというのである。

上告人は原審において本訴所有権確認の請求の原因として(一)係争地は上告人先代が明治三十六年六月五日向井田忠次郎から買受け、ついでその後明治三十八年十二月十五日先代の死亡によりその家督相続人たる上告人の取得した忍頂寺百九番地に属し、現に上告人の所有する山林である。(二)仮りに係争地が右百九番地にあたらなくても上告人先代はこれにあたるものとして讓受け、爾来死亡するに至るまでこれを占有し、その後は、先代の家督を相続した上告人において占有して来たものであつて、その占有は所有の意思をもつて平穏公然に行われ、且つ上告人先代は占有の開始に当り善意無過失であつたから、上告人のため右占有開始の日たる明治三十六年六月五日から十年を経た大正二年六月四日民法第百六十二條第二項による所有権の取得時効が完成した。仮りに上告人先代において占有のはじめ過失があつたとしても、その時から二十年を経た大正十二年六月四日同條第一項による所有権の取得時効が完成したと主張したのみでその外に、上告人自ら係争地に対する占有を新権原により取得し、この占有も亦民法第百六十二條第一、二項の取得時効の要件を具備していたから、これによつても上告人は係争地の取有権を取得したと主張した形跡はない。

思うに死亡相続の場合においては、相続開始の際相続人が数千里の遠方にいて、相続の開始を知らず且つ相続財産を現実に所持することが不可能であつても、他日相続人が実際所持をはじめるまで、相続財産が無占有の状態にあることは、相続財産を暴力の前にさらすことになり、対物的社会秩序を破壊することになるから相続人は相続の開始と同時に所持の取得如何を問うことなく、相続財産に関する個々の物件につき当然占有権を承継するものと解すべきである。

して見ると本件においては上告人は取得時効の原因として、専ら死亡相続により、その要件を具えた先代の占有を承継したと主張しておるに過ぎないから、上告人の取得時効による係爭地所有権の取得如何を判断するには第一に果して上告人先代が係争地を所有の意思をもつて占有していたかどうかを究めることを要し、その結果それが肯定せられると、上告人が係争地の占有を承継したことは、上告人がその先代の死亡によりその家督を相続したことにより、推論せられなければならない法理当然の結論に外ならないから、これがため、別に上告人が係争地について事実上所持を取得したかどうかを判断する必要はない。

原審は判決理由第一段において係争地は被上告人所有の忍頂寺百六番地山林の一部であつて、上告人所有の同所百九番地にあたらないとの結論に達した。それで勢い、上告人の予備的請求原因たる取得時効による所有権取得の主張について判断せざるを得なくなり、第二段においてこの点を判示しておるのである。ところがこの判示は前記の要請に副わないところがあるけれども、係争地に対する上告人先代の占有については「控訴人の主張する控訴人先代の本件係争土地の占有の承継事実は結局これを認むべき証拠はない」と論証し、更にこの点について上告人に利益な証人箕山キミの証言は証人福井金助の証言と対比して信ずるわけにいかないと説示しておるところを見るとこの結論の趣旨は占有の承継事実が認められないというのではなくして、上告人先代が上告人主張のような経路で係争地を占有していたことは認められない。従つて死亡相続の法理当然の結果である上告人に対する占有権の移転も推論することができないというにあるといわざるを得ない。

そうすると占有の承継を前提とする上告人の取得時効による係争地所有権の取得はこれで十分に否定せられるわけである。ところが原審は更に進んで上告人があらたに本件係争地に対する自己固有の占有を取得したかどうか、そしてその占有が独立して取得時効の要件を備えておるかどうかを檢討しておるのであるが民法第百八十七條によれば、占有の承継人は自己の占有か又は自己の占有に前主の占有を併せたものかを選択して主張し得るのであるが、死亡相続の場合においては、相続人は、上述のように、占有意思及び所持の有無を問うことなしに、法律上当然先代の占有権を承継するに過ぎないから、相続人において、更に新権原により、新に自己固有の占有を始めない限り、常に自己の承継した先代の占有の性質(自主又は他主)瑕疵を離れて、その占有を主張することはできない。そして上告人は原審において新権原にもとずく自己固有の占有を選択主張していない。それで右の判示は主張のない事実に対するものであつて、啻に蛇足であるばかりでなく違法を敢えてしたものといわざるを得ない。然しその結論においてはやはり係争地に対する上告人の所有権の取得を否定しておるのであるから、この判示の有無は原判決の終局的請求棄却の判断に何等の影響を及ぼすものでない。論旨第二、第三点はまさにこの無用な判示に対するものであるから、たとい所論の違法があつても原判決を破毀するに足らない。論旨はすべて理由がない。

以上説明のとおり本件上告は理由がないから民事訴訟法第三九六條第三八四條第九五條第八九條に従い主文のとおり判決する。

(裁判長判事 石神武蔵 判事 大島京一郎 判事 熊野啓五郎)

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